【読書感想文】和菓子のアン

 

 

 

こんにちは。

最近、創作活動をする友人ができ、読書に熱が入っています。

本来、読書は一人で静かにするものだと思っていたのですが(正直今も7割くらいはその考えだけど)語り合う人ができると、世の『読書サークル』の意義にも頷ける気がします。

私と友人2人の3人しかいない小さな小さな繋がりですが、ここに来て初めて、大切にしたいと思える、そんな繋がりができました。

 

 

 

はい。

そんなわけで、今回読了した本はこちら。

 光文社文庫から発行された、

坂木司著の

『和菓子のアン』です。

 

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和菓子のアン (光文社文庫)

和菓子のアン (光文社文庫)

  • 作者:坂木 司
  • 発売日: 2012/10/11
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

あらすじ

 

デパ地下の和菓子屋「みつ屋」で働き始めた梅本杏子(通称アンちゃん)は、ちょっぴり(?)太めの十八歳。プロフェッショナルだけど個性的すぎる店長や同僚に囲まれる日々の中、歴史と遊び心に満ちた和菓子の奥深い魅力に目覚めていく。謎めいたお客さんたちの言動に秘められた意外な真相とは?読めば思わず和菓子屋さんに走りたくなる、美味しいお仕事ミステリー!

 

 

 

感想

(以下は盛大なネタバレを含むので、未読の方はお気をつけください)

 

前二冊が鬱々しい話だったこともあり、とにかく心が暖まるようなハートフルストーリが読みたい!と手に取った本書。

読み返すような哲学的問いかけもなく、400ページをあっという間に感じさせるテンポもさながら、特筆すべきなのは何より和菓子。

そう、和菓子。

本書は主人公の梅本杏子(通称アンちゃんなので、以下はアンちゃんと記す)が、『東京百貨店』にある『和菓子舗 みつ屋』でアルバイトをするストーリーなのだが、色々なお客さんに接する中で、四季折々の和菓子が風味も豊かな解説付きで登場する。

 

洋菓子と和菓子、どちらが好きかと訊かれれば、どっちも好きだと答える程度の思考嗜好しか持ち合わせていない私は、本書に描かれた和菓子の奥深さに感銘を覚えざるを得ない。

 

和菓子の種類、味、そこにある物語。

和菓子の歴史を知ることは日本の歴史を知ること。

和菓子が誰かの人生に彩りを添えること。

 

普段、和菓子に対して食べることしか考えていない人は、本書から沢山のことを学ぶことになるのは間違いなし。

 

「あ、それと梅本さん」

「はい?」

「和菓子と洋菓子の違いを思い出したから、言っておくわ。それは、とても単純なこと。この国の歴史よ。この国の気候や湿度に合わせ、この国で採れる物を使い、この国の冠婚葬祭を彩る。それが和菓子の役目。」p298

 

 

本書に登場する月ごとの上生菓子をまとめるとこんな感じ。

 

5月『おとし文』『兜』『薔薇』

6月『紫陽花』『青梅』『水無月

7月『星合』『夏みかん』『百合』

8月『蓮』『鵲』『清流』

9月『光琳菊』『跳ね月』『松露』

12月『柚子香』『田舎家』『初霜』

1月『早梅』『雪竹』『福寿草』『風花』

 

他にも、

私たちも馴染み深い『おはぎ』にも、春は牡丹餅、秋は御萩と呼ばれるほか何通りも呼び方があることと、その理由。

上生菓子に使う『こなし』は京都特有のもので、関東の『練り切り』とは違っていることと、その理由。

『半殺し』『腹切り』『泣く』という和菓子用語。

鹿の子、亥の子餅、月餅、桃山、松風、辻占といった和菓子の数々。

 

…と、いう風に、本書を読むだけでも和菓子の奥ゆかしさに触れることが出来る。

 

 

 

例えば、6月の上生菓子である『水無月』の由来について。

これが『水無月

水無月 和菓子 に対する画像結果

水無月は白いういろうの上に甘く煮た小豆をのせて三角形に切り分けた京都発祥のお菓子。

京都では夏越の祓が行われる6月30日に、1年の残り半分の無病息災を記念して食べる風習がある。

この『水無月』は、室町時代に旧暦の6月1日に氷を食べて夏バテを予防するという風習から由来しており、当時の庶民には氷が高級品であったことから、その代わりとして氷に似せて三角形に切った水無月を食べることで夏バテを予防することになった。

 

 

 

これを読んで和菓子に興味を持った方は、ぜひ本書をお勧めしておく。

というのも、ただ和菓子の知識をつけるだけなら、普通に和菓子の本を読めばいいだけだが、敢えて『和菓子のアン』を勧めるのは、この本にはもう一つの魅力があるからだ。

 

 

 

それが主人公のアンちゃんである。

主人公のアンちゃんが、『みつ屋』でアルバイトをする中で、和菓子や働くことの意味を知り、成長していく姿。

アンちゃんを取り巻く個性豊かな登場人物たち。

『デパ地下』を舞台に繰り広げられる他店とのやり取りや、デパ地下ならではの慣習。

『遠方』『兄』などデパ地下用語も登場する。

右も左も分からないアンちゃんと同じ目線に立って読んでいると、自分も一緒に働いている気分になれる。

 

 

 

飽きました。

和菓子と登場人物の個性が織りなす、風味豊かな小説です。

Amazonのレビューを見ると、評価は2極化していますが、軽く読める小説としては良作だと思います。

ですが、薄っぺらいラノベだと言われれば納得できてしまうので、この本は小説らしさを求めるのではなく、漫画を読んでる感覚で読むのがいいかと。

感想では触れなかったミステリー要素ですが、和菓子に関係するなぞなぞといえば伝わるかな。

和菓子の言葉遊びや由来を知って、お客さんの注文の意図を推理する…って感じです。無血です。

書評は置いておいて、ハートフルストーリーが読みたいという欲求は概ね満たされました。

この本には続編があり、そこではさらに成長したアンちゃんと、さらには同僚の立花さんとの恋模様も描かれるらしいです。

重い小説に疲れたら次に読む本がこれで決まりましたね。

 

あ、あとは和菓子が食べたくなる。

これは間違いないです。

近場に和菓子屋がないんですけどね。

コンビニにある和菓子で我慢します。

週末だし、自分に甘くなってもいいよね。

 

 

 

終わり、ばいばい。

【読書感想文】砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない A Lollypop or A Bullet

 

 

 

こんにちは。

昨日『すばらしい新世界』の読書感想文を投稿したばかりですが、次の本を爆速で読了したので、再び読書感想文になります。

 

 

 

今回読み終えた本はこちら。

角川文庫から発行された、

桜庭一樹著の

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない A Lollypop or A Bullet』です。

 

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あらすじ

その日、兄とあたしは、必死に山を登っていた。

見つけたくない「あるもの」を見つけてしまうために。

あたし=中学生の山田なぎさは、子供という境遇に絶望し、

一刻も早く社会に出て、お金という”実弾”を

手にするべく、自衛官を志望していた。

そんななぎさに、都会からの転校生、海野藻屑は何かと絡んでくる。

嘘つきで残酷だが、どこか魅力的な藻屑となぎさは徐々に親しくなっていく。

だが、藻屑は日夜、父からの暴力に曝されており、ある日──

直木賞作家がおくる、切実な痛みに満ちた青春文学。

 

 

 

感想

(以下は盛大なネタバレを含むため、未読の方はお気をつけください)

 

前回の『すばらしい新世界

を読んでから、一晩で読了した本書は恐るべきページターナーであり、気づけば朝になって私は点呼に遅刻していた。

物語は主人公である”あたし=山田なぎさ”が語り手となり紡がれており、キャッチーで可愛らしい題名や登場人物が中学生ということからは想像もできないような暴力的、猟奇的なシーンが不気味な対照性をもって目に飛び込んでくる。

登場人物はみな思春期特有の複雑で繊細な感情に揺さぶられ、それぞれの思いは時に爆発し、時に嘘や狂気に転じて物語を加速させていく。

 

転校生である海野藻屑は父親である海野雅愛から虐待を受けており、藻屑自身がそれを受け入れてしまっている。

 

「ぼく、おとうさんのこと、すごく好きなんだ」

「うへぇ!」

「……なに、うへぇって」

「いやなんとなく」

「好きって絶望だよね」

藻屑はわけのわかんないことをつぶやいた。p.53

 

 

なぎさの兄、友彦により、これは”ストックホルム現象”であることが示唆される。

「好きって絶望だよね」

この一言から諦観と悲壮感が伝わってくる。

父親が飼い犬のポチを鉈でバラバラにした後も、藻屑は父親から逃げることはなかった。

推測だが、藻屑は自分がポチと同じ運命をたどることになると分かっていたのだと思う。

分かっていた上で、転校当初から自分は人魚であると嘘をつき続けた藻屑は、仮想の世界を嘘によって現実に持ち込むことで、逃避という形で自己の安定を保っていたのではないだろうか。

 

「どうしよう、友彦……」

あぁ。

「友彦。

昨日の夜、藻屑は言ったんだ……」

「こんな人生は全部、嘘だって。

嘘だから、平気だって」p144

 

 

藻屑となぎさが大人たちから逃げようと決意をした夜、家出の支度をするシーンで藻屑がなぎさに見せた最初で最後の本物の笑顔が痛切でたまらない。

 

藻屑の父親がサイコパスであることは改めて述べるまでもないが、藻屑も父親の気質を受け継いでいることは間違いない。

口にすべきこととしてはいけないことの区別ができない、虚言癖、情緒不安定…など藻屑がどこか”狂っている”ことは読者に疑わせる。

それが決定的になるのが、うさぎ小屋の惨殺シーンである。

このシーンこそ、藻屑はほかでもない海野雅愛の娘であり、海野家が異常であることの証拠となって現実味を帯びてくる。

 

 

 

…。

飽きました。

筆舌に尽くし難いほどの読了感。

痛くて、残酷で、悲しくて、でも、どうすることもできない。

一言でまとめるとそんな本です。無力で、救いがない。

 

「砂糖でできた弾丸では子供は世界と戦えない」

 

飽きたため省略しましたが、ここに詳しく書いていない野球部の花名島、山田なぎさの兄であり引きこもりの友彦も、それぞれ不安定ながら魅力的な個性を持っている登場人物として物語を複雑に彩っています。

 

200ページもなく、テンポが非常に軽い本なので、遅くとも3日あれば読了できるんじゃないかな。

百聞は一見に如かず。

気になった方は読んでみてください。

 

 

 

終わり、ばいばい。

 

【読書感想文】すばらしい新世界

 

 

 

こんにちは。

本を読み終えた後につけていた読書ノートを謎に紛失したので、もうブログに記録を残そうと思います。

 

 

 

今回読了した本はこちら。

光文社古典新訳文庫から発行された、

オルダス・ハクスリー著、黒原敏行訳の、

すばらしい新世界』です。

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あらすじ

 

西暦2540年。

人間の工場生産と条件付け教育、フリーセックスの奨励、快楽薬の配給によって、人類は不満と無縁の安定社会を築いていた。だが、時代の異端児達と未開社会から来たジョンは、世界に疑問を抱き始め……驚くべき洞察力で描かれた、ディストピア小説の決定版!

 

 

 

感想

(以下は盛大なネタバレを含むので、未読の方はお気を付けください)

 

ユートピア…?

いや、ディストピア…?

 

“ボカノフスキー法”により、同じ1つの受精卵から大量に同質の人間を生産する(つまり、双子どころではなく何十もの同じ人間が存在することになる)

 

産まれる前から人間はアルファ・ベータ・デルタ・ガンマ・エプシロンの階級が決定され、それぞれの壜は階級に従った措置(条件付け)を受け、ベルトコンベヤーで運ばれた後に壜の中から産まれてくる。

 

その為に存在するのが

“中央ロンドン孵化・条件づけセンター”

 

…この時点で既にSF感満載。

 

形成された世界国家のモットーは

“共同性、同一性、安定性”

それぞれの階級は、その階級に満足できる“条件付け”を施され、与えられた義務を機械的に行う。

義務を終えると“ソーマ”と呼ばれる快楽物質(薬物から危険な作用のみを取り除いた都合の良い代物!)が配給され、人々は“ソーマの休日”という夢見心地を味わう。

 

と、話したところで伝わらないと思うので、ここで引用。

 

「(前略)人はなすべきことをするよう条件づけられている。そしてなすべきことというのは概して快適な行為だ。自然な衝動の多くは抑えなくていいとされているから、抵抗すべき誘惑など現実にはない。そしてかりに不運な偶然から不愉快なことが起きた場合は“ソーマの休日”が忘れさせてくれる。ソーマは怒りを鎮め、敵と和解させてくれ、忍耐強くしてくれる。昔ならそんなことができるようになるには多大な努力と長年の精神的訓練が必要だった。それが今では半グラムの錠剤を二、三錠呑むだけでいい。誰でも円満な人格が持てる。ひとりの人間が持つモラルの少なくとも半分は壜ひとつで持ち運びできるんだ。苦労なしで身につくキリスト教精神──それがソーマだ」p.342

 

つまり、

人はそもそも不満がないように設定されているし、欲望は何でも満たすことができる。

病気にはならないし、薬によって老いることすらない。

万が一、不都合なことがあればソーマを服用すればたちまちハッピーになってめでたしめでたし。

胎生から機械による大量生産となった人間は“結婚”も必要ではなく、セックスは誰とでも好きにしてOK。

“誰もがみんなのもの”

ということである。

「オージー・ポージー

フォードは愉快

女子にキスしてひとつになる

男子も女子もみんなでひとつ

オージー・ポージー、解き放つ」p.124

 

 

これが“すばらしい新世界”であり、この安定性こそが幸福!な社会では、当然のように統制された秩序に不安定を齎す個人性や感情というのは唾棄されている。

その唾棄されるもののシンボルとして登場するのがあらすじにある“ジョン”だ。

 

これを介して現代のプロパガンダの見え透いた失敗を嘆きつつも、世界観についてはこんな感じ。

 

まず、本書が描かれたのは昭和7年(1932年)ということにまず驚き。

全くそんな風には思えない。

というのも、この小説の主眼である科学技術が敷いた全体主義的社会に相対する我々人間の姿勢が当時と今を比して何も変わっていないからだろう。

 

370ページ近くある本書を読み終わり、ブックカバーを外してタイトルの『すばらしい新世界』と向き合うと、改めて理想の社会とは何だろうかと思料せずにはいられない。

 

産まれた時から管理され、幸福が約束された社会。

望んだものは何でも手に入り、苦悩や葛藤と無縁の社会…。

 

これが『すばらしい新世界』なのか?と自問しても、得られる自答はこうだ。

 

 

「何か違う気がする(語彙力崩壊)」

 

 

苦悩や葛藤を望むわけでは決してないが、刺激が何も無いというのは退屈な気がしてならない。

だが、その退屈でさえ“ソーマ”や“芳香オルガン”、“触感映画”によって充足されるものであるとすれば…。

 

やはり『すばらしい新世界』はユートピアでは?

いやしかし、的な哲学者めいた思考に陥る。

そして、この思考に反映される自分にとっての理想郷が自意識として現れてくることを思索として楽しんでいた。

 

秩序の安定から個人的な感情は排他されるべきではなく、本書のように両極端に二分することが正解だとは思えない。

すばらしい新世界』の安定した幸福社会を羨みつつも、苦悩や葛藤は個人の持続のために必要だと結論付けた。

ジョンと世界統制管ムスタファ・モンドの対話はその意味でも大変興味深く読んだ。

 

「要するにきみは」

とムスタファ・モンドは言った。

「不幸になる権利を要求しているわけだ」

「ああ、それでけっこう」

ジョンは挑むように言った。

「僕は不幸になる権利を要求しているんです」p.346

 

 

不幸になる権利を要求しているんです。

 

他にも自分の常識に懐疑を生じさせる箴言が差し込まれた、俗に言う“考えさせられる本”だった。

 

 

 

飽きてきたので、この辺りで切り上げる。

人狼もやりたいしね。

SFやディストピア小説に興味がある人にお勧めの、『すばらしい新世界

良かったら読んでみてください。

 

 

 

終わり、ばいばい。

ロンドンデリー

 

 

 

 

 

良い曲でした。

もう聴けません。

 

 

 

 

 

テトリスのし過ぎで涙が出てきました。

あめみやたいようさんはきっと人間辞めてます。

 

 

 

 

 

終わり、ばいばい。